新作ショートショート5/テーマ(秘密)
秘密
会社の事務所を出て直ぐの廊下でミナコとすれ違った。
「お疲れさま……」
周囲の者に気付かれぬ様、私の耳元で囁いたミナコは、もう一度こちらを見て目配せをした。
私は軽い笑みで答える。二人の関係は社内では『秘密』だった。
ミナコは半年ほど前に、事務員としてやって来た。少し派手めの、色のあるその雰囲気は、周囲の男性社員を惹きつけるには十分過ぎた。
当然、アプローチしてくる者も何人かいた様だったが、ミナコはそれに答えない。そう、この私を除いては。
「私、落ち着いた雰囲気の人が好きなの」
『中年男』にとって、それは頼もしい一言だった。
ミナコがやって来たのは、会社の忘年会の一ヶ月ほど前だった。その頃会社は繁忙期で、外回りばかりの私は、ミナコの存在を意識する事など全く無かった。
「ここ、いいですか?」
会社は毎年、忘年会の為に小さな店を貸し切る。社長の知人が経営する店なので、色々と融通がきく様だ。
そのお陰で、人数に対して広過ぎる店舗は、所々に空席を作る事になる。劇的に会社が儲かりでもしない限り、先々も同じ事が続くのだろうと思っている。しかし、その空席によって、ミナコと近付く事が出来たのだから、感謝しなくてはなるまい。
ミナコは、たまたま私の隣に座った様だ。
「なんか、話が合いますね」
そう言って笑ったミナコの横顔に、少しずつ心が奪われてゆく。私はそれを、コントロールする事が出来なかった。時折見せる笑顔が男心をくすぐる。これは普段、誰にも見せない表情なのだと、ミナコは言った。
私はこれまで妻に一途と言う訳でも無かったが、単に浮気心が芽生えなかっただけだろう。今回、その事情が大きく変わった。
急接近した二人の関係。男女の仲になるまでに、長い時間は必要なかった。
私も今年で四十五歳。そろそろ女性絡みの話は落ち着かせなければなるまい。共にパートナーの居る身だったが、互いにその関係は良くなかった。そんな背景も親密になる手助けになったのだろう。
ミナコは私より十歳ほど若く、所属部署も違う。妻は勿論この事は知らないし、察する気配も無い。そもそも私の会社にどのくらい社員が居て、女性の割合がどの程度だとか、そんな事にはまるで興味が無い女だった。
妻と私は同い年で、結婚生活も十五年になる。結婚当初はお互い若く、興味や関心もあったけれど、子供が無かったせいで単調な日々が続き過ぎた。
ある時期から妻は地味なパート勤めを始め、そのお陰もあって貯金はそれなりの額まで増えた。
妻はサラリとした顔で、毎日仕事と家事をこなしている。心の中には何か思うところはあるかもしれないが、決して表には現さなかった。
ミナコには六歳ほど年上の夫が居る。仕事も遊びも適度な様で、それなりの相手の気配を感じるとミナコは言う。実際のところは分からないが、ミナコも派手めな女だ。その夫となれば、同じ匂いが漂っていても不思議ではないだろう。
ただ確実に言えるのは、ミナコの心が夫から離れた分、私に近づいていると言う事だ。それだけは、ひしひしと感じる事が出来たのだ。
二人の距離は縮まる一方の様だ。日々、心の中をミナコが占める割合が大きくなってゆく。
そろそろけじめをつけなくてはならない。愛人と妻を、上手く心の中で棲み分け出来るほど、私は器用ではないのだ。
ミナコは上手く演じているのだろう。世の中その辺りは、女性の方が長けていると思う。
ミナコもいよいよ本気のようだ。夫に別れ話を切り出そうとしている。遊びと言うものは、相手に夫と言う存在があるからこそ成立するもので、それを失う事で、一気に気持ちがこちらに向かってのしかかる。
『別れさせ屋』といったビジネスがあった様だが、私には理解出来ない世界だ。妻としっかり話し合えばいい。
しかし、困ったものだ。最初は軽い遊びのつもりだったのに。今ではもうミナコ無しではいられない。
妻との話は、思いのほかスムーズに進んだ。私からの申し出に、妻はすんなりと応じてくれたのだ。互いに愛情はすっかり薄れていたのかもしれない。
離婚を切り出したのはこちらの方だ。その為、妻からの要求には可能な限り応じる事にした。
妻と別れてから三ヶ月後。あれほど惹かれ合っていた筈のミナコとの関係に、亀裂が入り始めた。
二人の心の限界点は、予想外に早く訪れて、ミナコとも別れる事になってしまった。
ミナコは隣街の喫茶店で、ある人と会っていた。
「ご苦労様」
依頼主である、かつての妻から『別れさせ屋』としての成功報酬を受け取った。
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